ファシリテーター・クリニック 〜自ら手を挙げる勇気

土曜日は日本ファシリテーション協会(FAJ)東京支部の定例会に参加してきた。
今回のテーマは「ファシリテーター・クリニック」。グループごとに一人ずつファシリテーターを選んで話し合いを行い、ファシリテーター以外のメンバーが全員評価シートに従ってファシリテーターを評価するという内容。他のメンバーに容赦なくダメ出しされる。これってファシリテーターには結構過酷だ。

途中グループ分けを変えて2ラウンド話し合いを行ったが、非常に恥ずかしいことだが僕はファシリテーターに立候補する勇気を持てなかった。話し合いに参加して、もっともらしくファシリテーターの採点をしたのだが、しかし、やはりこんな安全な場所にいてファシリテーターを務めた方をわけ知り顔で評価する自分って、ダメだなと強く感じた。

参加者側でも、ファシリテーターを務めた方のファシリを観察して、気づくことは確かに多かった。

話し合いのプロセスが話し合いの質を有する。例えばチェックインや、問題(イシュー)の共有、ゴールの共有、といったことを省いたり、十分にできていないと必ずといっていいほど話し合いがうまくいかなくなる。

どんな風に話し合いを進めるのか、進め方、決め方のプロセスをメンバーと共有しないと、メンバーはどこに連れていかれるのか分からなくなり不安になる(ファシリテーター含め参加者それぞれが、プロセスについてこんな風に決めたい、進めたいという違うイメージを持っており、擦り合わせないとかみ合わなくなる)。

ファシリテーターがこうしよう、こんな風に進めよう、と強引に進めようとすると、メンバーの納得性が得られなくなる。

いわば議論の前提や議論の進め方について共通認識がないと、かみ合わなくなるということだと思う。これって当たり前のことなのに、自分の思っていることは人もそう思っているだろう、と思い込んでしまう、陥りがちな罠だと思った。

こうした学びはあったが、やはりファシリテーターを実際に務めることが一番学びになることは間違いない。正直、自分から手を挙げてファシリテーターを務められた方は本当に勇気があるし、偉いと思う。
弱気になった自分について多いに反省。次にこのような機会があったら迷わずにファシリテーターをやると手を挙げることをここに誓う。

FAJ:特定非営利活動法人 日本ファシリテーション協会